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東日本大震災発生―2011年3月11日、午後2時45分に思う。

あれから1年、被災地は今も仮設住宅で避難生活をしている人が多い。

復興の兆しを見えるようにしないといけい。
1部の町では復興食堂、復興商店街として町づくりが行われている。しかしこれはほんのごく1部である。まだまだ復興の兆しが見えてこないのが現実である。

この1週間、テレビ放映では東日本大震災の1年を知らせていた。
昨日も私はNHKの番組を見た。
三陸海岸の大災害に町の町長が奮闘している。
役場の職員も亡くなった。
これ以上の犠牲者を出したくない。
亡くなった人のために何をするのか。
これ以上の犠牲者を出したくない。
それには高台に復興住宅を建てる。計画はそのたびに支障がくるが町の職員はひるまないで前に進んで取り組んでいる。テレビから熱い志、職員たちの亡くなった人のために何をするのか。その使命感はテレビを見る者に伝わってくる。
テレビを見ている夫はいう。
「テレビでは現場の状況が分からないから東日本大震災の現場にお前は行ったほうがいい」といっている。

阪神・淡路大震災の時は10日目から現場取材に入ってその時の苦労を夫は家族として見てきたので見ないと分からないことは肌で感じているらしい。それは私も思う。
しかし今は阪神・淡路大震災の時のように足が踏み出せない。
あの時はまだ年齢は49歳だった。まだまだ現場取材に燃えていた。
仕事の情熱がみなぎっていた。
そして歩くことも苦痛にならなかった。
早朝に天保山から船にのって9時前には神戸に着いていた。
そのかわり帰りの便は船が天保山に行くのに1台でも早い船に乗るように努力した。それで亡くなった河島英五さんが神戸市役所の近くで復興コンサートをしていたがものの20分程度の取材で現場を後にしてハーバーランドに向かった。もう夜の帳がおり始めたころだったことを記憶している。
大阪から奈良に帰るということがいつも頭から離れなかった。
そんなことを時に今も思い出す。

東日本大震災3月11日金曜日、午後2時45分に発生している。
その時、京都のある人に電話取材をしていた。
座っている椅子の下がぐらぐらと揺れたような気がしたが私の気のせいだろうかとも思った。
そして電話取材を続けた。
電話取材した結果と相手の要望を伝えようと東京の編集局に携帯から電話するとずっと話中の状態で通じない。
30分程度時間を置いて電話するが通じない。
そしてその日、夫が家にいたのでテレビをつけていた。テレビは東日本大震災が発生していたことを伝えていた。やっと編集局が電話取材で混乱していると思った。今度は固定電話から電話をするとやっとつながった。
そしてパソコンを閉めてテレビを見ていると今度の地震は今までとは違うとはわかった。
刻々と放映される映像に携帯電話の繋がらない理由もわかった。
民団中央本部の職員や関係者は直ぐに東日本大震災の被災地、在日韓国人が住んでいる地域や関係機関に駆けつけている。
幸いなのかどうかわからないが-----。
今回の東日本大震災の現地取材は関東から東北関係者で割り当てられて記事が作られた。関西に住んでいる私にはすることがなかったので内心はほっとしていた。66歳になっている私は厳しい災害地ではおそらく体力が持ちこたえることができないだろう。テレビで見る高齢者の様子に胸が痛んだ。

あれから1年目を迎えた。
編集局からのメールがこの2・3日ない。ということはスタッフが現地に飛んでいるのだろう。お疲れさまと、いいたい。
東日本大震災の被害の大きさ、津波の恐さを知ることになった。
そして、そして原発事故の恐怖を思い知らされた。
脱原発運動も盛んに行われている。
このこともよく理解できる。しかしと、私は思う。
幼少の頃、何度も停電していた記憶がある。けれどしばらくすると家に灯りが戻っていた。停電すればろうそくの灯りでしのいだ。
けれど電気がなくて暗い街というのは初めて中国に訪問したときに味わった。
今や中国は発展して町は車であふれかえっているが自転車で溢れていた1980年代後半の中国、灯りのない町は今も記憶に残っている。
日本は夜の景色、どこかで灯りが灯っていて夜景の美しさに見とれた。
けれど当時の中国はホテルの窓から見る夜景は町の中は何も見えず暗闇だった。
電気の需要が満足ではない発展途上国の現実を初めて見て電気のありがたさを実感した。また電気の需要が少なくなると日本の町はあの暗闇になるのか---と。

私が育った幼少の頃、町の街燈も少なくて角の道、暗くて分からないところは歩いてくる人を脅かしたりして遊んだものだった。
暗い街は私の幼少の頃でたくさん。明るい町のほうが住みやすい。
原発に変わる電気の重要を考えていかないといけないが灯りのある町はやはり人の心を温かくする。こんなことも私の心の中で考えている。

原発があっても災害からどう守っていくのか。日本は大きい課題と答えを抱えている。日本の正念場である。


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