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奈良県女性の見えないようにさりげない拒否感

けれど本名を名乗って25年間、その日本人気質を直感でわかるのです。
本名の名刺を出して本名を名乗る人に対応する日本人の有様が見える。血が教えてくれている。悲しいけれど見えるのです。

7月12日のことです。
せつなくて悲しくて胸が苦しくなるほどの日本婦人の意地悪を見ることになりました。日本の婦人たちはわからないようにしているつもりだが本名を名乗る私に対する態度、前の日の電話と違って手の平を返したように変えた目の前の私を前にしてのその態度、そこにいる大勢の日本人に気を使っているそのなんとも歯がゆさ、私には知られていないと思っているでしょう。

しかし本名を名乗って日本社会でも入っていく私は民団新聞の記者として肩書きをもって奈良市内で活動しているかぎりは私の使命です。
日本人に奈良県で本名を名乗って生きている在日韓国人がいることを知らせていく私の役割です。
もしいつか民団新聞の記者の肩書きが取れたときは私の生まれ育ち結婚するまで使っていた「平川保子」、そして結婚してからの「金定保子(恭子も使っている)」と、本名の「鄭容順」を3通りの使い分けをするかもしれない。
しかし肩書きをもって活動している限りは私生活でもよほどの理由がないかぎり使い分けをしていない。
たとえ奈良県庁であっても奈良市庁関係者にも。
そして一般の日本人の集まりでも当たり前にそうしている。しかし今日の日本婦人のある集まり、しかも中産階級者の集まりの場所でそんなことを直感的に感じ取った。
なんと感じの悪い。
気分が悪い。
奈良市民始め奈良県民の閉鎖的でその気質の古さ、国際感覚はほど遠い道のりです。家では韓国ドラマを見ている人もたくさんいるでしょう。
そして会合の集まりの中にも在日コリアンがいるはずです。
日本式の名前を名乗り出自を隠しておられたら全くわからない。
日本で生まれた気候や土壌が日本人とは変わらない。
しかし血が違うので異質なものがあるはずです。
文化の宝庫があるというのに奈良県人は在日コリアンを日本植民地支配の認識がない。まだまだ古い気質の閉鎖的な奈良県に住んでいる日本人女性の認識のなさを今日は思い知らされた。
こんなこと、本名を名乗って初めてです。こんなに悲しくも切ない気持ちになったのは初めてです。
彼女たちは私の胸の内には何も気づいていない。
自分たちはさりげなく拒否をしたと思っているだろう。しかし私は直感的に感じ取ってしまう。残念なことに---。

ここに集まる人たちは男女平等という人権を叫んでいるのに在日コリアンの世界がまったく見えていない。隣に住んでいる在日コリアンの存在、通名を名乗っておられたらそれ以上に何も考えないで距離を置いている。

今日の会合もそうだった。
今日の集まりは60代、70代、80代の女性たちだった。
何か在日コリアンは昔、差別された日本人婦人たちの年代だった。
ちっともその気質は今も変わっていないことを思い知らされた。
今の若い世代はまず今日のようなことはないだろう。
本名の名刺に拒否感がありありと見えた。
私を理解している人にもそれを強要していた。
人の話を何も聞かないで一方的に自己主張している。
なんと物事の浅はかさだと思った。
まず私の話を聞いてからそれから自分の意見をしてほしかった。
本当に在日コリアンに対する理解があれば私の要件を聞いてから自分の主張すればすむことだった。なんとやらしい女性と心の中で思ったが口が裂けてもその場ではいってはならなかった。

本名を名乗る人にはその場だけでも礼儀正しく対応してもらいたものだ。
奈良県民の人たちに国際理解教育もかけているが隣人愛もかけているようだ。

見苦しい光景に私は何も気づかないふりをしていたが自宅に着くと風呂場で声をだして泣きたいくらいだった。
しかしそれができなかった。
夫は私がシャワーに入る前に帰ってきたので急いでシャワーを浴びて夕食の支度に取りかかった。
まだまだ奈良県は何かしらないが遅れているものがある。
国際交流は海外に住む人達と交流することが国際交流と勘違いをしている。
今日のなんともいえない日本人女性のあり方に「これでは在日コリアンの3世、4世は日本国籍に切り変えていく。特に奈良県の帰化者がどんどん増えている要因は日本社会に原因があるようだ」と思ったものだった。

このことを人に話したいほど切なくも悲しい。
けれど誰にも話せない。
夫にどこそこの誰がと話した。
夫は「そんな人を2度と会うな」と---。
けれどそうはいかない。我慢もしなければいけない。
ここで吐き出して心の消化にしたい。
ただその誰とかここにかけない。
奈良県に住む日本人女性、中には多くの人たちが違和感なく接してくれる人もおられる。しかし昔から奈良に生まれて住む人たちの女性の閉鎖的、感情はわたしがかつて住んでいた平城宮跡周辺の昔から住んでいる人たち、30年前と何も変わっていないことを思い知らされた。
いつかまたもっと詳しいことがかけるときにまた書くことにしよう

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